黒い十人の感想

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呆れてしまうような自分/あの燃え盛る硬質の

二〇一九年五月号の小説すばるに安壇美緒氏の短編小説「あの燃え盛る硬質の」が掲載された。
デビュー作である「天龍院亜希子の日記」を読んで氏のファンになったので、真面目にも発売日に購入した。
が、忙しくて部屋の隅に置いたまま開くことなく今日まで来てしまった。

病院の午後診に行くためいつもより随分と早く仕事から帰宅したはいいけれど、早く帰って来すぎてまだ病院も開いていない……何をすべきか……と思い、簡単に部屋の掃除をしてから小説すばるを手に取った。

かつて職場で「化石」と呼ばれ、未婚の女性であることにどこか引け目を感じている別府。
そんな彼女の元に派遣としてやって来た瀬戸。
親子ほど歳の離れたふたりが、左手の薬指にはめられた指輪を軸にゆっくりと言葉をかわしあう本作を読んでいる最中、何度も複雑な気持ちになった。

別府は今時の若者たちのフラットな価値観のおかげで自身も生きやすくなったことを感じつつも、瀬戸に対し(具体的に口にはせずとも)旧時代の価値観を含んだ眼差しを向けてしまう。
別府はそんな自分に呆れつつも、内に染みこんでしまった価値観を捨てきることはできない。

平成生まれだし、まだ二十代だし。世間的に見れば若者の枠に入れるし、価値観もそれなりにフラットなほうだという自負はある。
が、それでも確実に自分の中には別府がいるのだ。
捨てた方が楽になる価値観を何故か持ったまま、人生をウロウロと歩いている。
駅のゴミ箱が一杯で空になったペットボトルを捨てられず、なんとなく職場までそれを持って行ってしまう感覚に近いかもしれない。
そういう「なんとなく」の特に意味のない、癖みたいな、かつ振りかざしても有害にしかならない価値観と決別できない自分に呆れてしまう。

だから物語を楽しみつつも、自分の中に染みついている古い考えと対面させられるようなシーンを読むたび密かにため息をついた。
ラストになっても別府の価値観は劇的には変わらない。たぶん彼女はこれからも仲の良い男女を見かけると「恋人同士かしら」と思うだろう。
しかし瀬戸との交流を通して、長年彼女の薬指にかかっていたモヤが腫れたことは確かだ。

空のペットボトルを人に投げつけさえしなければ、それを持っていることを恥じる必要はないのかもしれない。
もっと感じ入るべき所や考えるべき場面が沢山あるのだろうけれど、読み終わったときそんなことを思った。
別府ほど素直に瀬戸の言葉を受け止められる自信はないが、それでもいつかもっと楽に息をしながら生活できる日が来るのかもしれない。
そう思えたのが本作を読んだ上での一番の収穫だった。

この感想を書いている間に病院の午後診が始まってしまった。
急がないと受付時間が終わってしまう。